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ベーカリーワールドカップ入賞者が語る「むぎの詩」開発エピソード

ベーカリーワールドカップ入賞者が語る「むぎの詩」開発エピソード

【ベーカリーワールドカップ(クープ・デュ・モンド)について】

最初に簡単にベーカリーワールドカップについて、教えていただけますか?

1991年にフランスのMOF*が中心となって設立された手作りパン振興会が主催するベーカリーのワールドカップで、1992年から始まりました。
今は4年に1度、フランスで開催され、次回は2012年開催予定です。1チーム3名で世界各地域の予選を勝ち抜いた12カ国が、与えられたブースで、限られた材料の中で、規定の品目を8時間以内に仕上げ、その技術・スピード・芸術性を競う大会となっています。
日本は第2回目の1994年から参加しています。

MOF:Meilleur Ouvrier de France(フランス国家最優秀職人:日本で云えば人間国宝に相当する)フランス文化の最も優れた継承者たるにふさわしい高度の技術を持つ職人に授与される称号。
3年に1度、厳しい審査を経て選ばれた合格者には、フランス大統領の名のもとメダルが授与され、トリコロールカラーの襟のコックコートの着用が認められる。

「むぎの詩」開発

その初めて日本が参加した大会に出場されたわけですね。当時、大会の情報は、どの程度把握されていらっしゃいましたか?

当時は、インターネットも現在ほど普及していませんでしたし、「日本パン工業会」様と「日本フランスパン友の会」様からの情報が全てでしたね。・・・本当に何もわからない状態でした。

参加決定から本番まであまり期間が無かったと、お聞きしていますが、実際はどれくらいの期間、どんな準備をされたんですか?

前年の夏にフランスから招待状が届き、3月1日が本番でしたから、実質6ヶ月無かったですね。準備としては、まずテーマに沿って何を作るのか。そのための役割分担や、練習ですね。今から思うと、毎日毎日、とても大変だったということ以外は、何をやっていたのかあまり覚えていません。

もちろん通常の仕事もこなしながらの準備だったんではないかと思うんですが…

そうですね。でも、なんといっても日本代表ですから(笑)、それなりに配慮はしていただきました。

実際にフランスについてからは、本番まで10日間と言うことでしたが、どんな風に過ごされていたんですか?

パリ郊外のイースト工場の研究室(ベーキングセンター)をお借りして、トレーニングをしたんですが、お借り出来たのが5日間だけでした。その間は、ほとんど徹夜に近い状況でした。トレーニング最終日になってもまだ制限時間内には出来なかったですね。
そのあと本番まで数日ありましたけど・・・毎日、打合せとミーティングをして、綿密な計画を立ててました。今だと、もう無理ですね。(笑)

パリと言えば、以前にパリのガナショウ氏のもとで研修されたことがあるということでしたが…

1986年のことですから、かなり昔のことですね。当時3ヶ月くらい研修させていただきました。ガナショウ氏はパン部門最初のMOFですから、世界一の最優秀職人にご指導いただいたといっても過言じゃないんじゃないでしょうか。ガナショウ氏からもベーカリーワールドカップのことは聞いていました。

さて、本番はどうでしたか?

日本で使い慣れたボンガード社製オーブンのブースに抽選で当たりましたのでこれはラッキーでした。オーブンの特性によって温度や焼き色が微妙に変わりますので、これは本当に助かりましたね。制限時間は8時間なんですけれども、これも綿密に立てた計画が功を奏し、ギリギリ時間内に作業を終えることが出来ました。

初出場の日本が総合でいきなり3位でしたね。

結果と同時に、やり遂げたぞという「達成感」と「満足感」を覚えています。特に、古川レストラン取締役が担当されていた、飾りパン部門で世界一というのは予想通り。一目で分かりました。
レベルがぜんぜん違ってた。他国の選手もたくさん写真を撮りに来ていました。
総合で、3位という結果には、こちらがびっくり。わたしが担当していたヴィエノワズリーも、一つ一つ丁寧に作った結果が評価されて、本当にうれしかったです。

見事な結果を携えて帰国。みんなの反応はどうでしたか?

みんな自分のことのように喜んでくれました。盛大にお祝いしていただいて、なんか照れくさかったですね。

その後、ベーカリーワールドカップの実行委員や日本代表選考審査委員をされているということですが…

2005年からやらせていただいています。若い人たちががんばっている姿を見ると、本当に頼もしいです。同時になんだかうれしくもなりますね。

【むぎの詩、開発について】

さて、話は変わりますが、むぎの詩の開発も担当されていたと聞いていますが…

時期としては、ベーカリーワールドカップのちょっと後ぐらいでしょうか。当時は、アメリカでも本格的な食事パンのブームがあり、この波は日本にも来るんじゃないか。という予感は何となくしていました。ちょうどその頃、むぎの詩の開発にかかわる事になりました。

フランスでの経験が活きたわけですね。

まぁ、そうです。というより、当時徐々にではありますが、「おいしい食事パンが食べたい」というお客様のニーズが高まりつつありました。
一方、営業は、他社より先行し、差別化を図るため真剣でした。「お客様のニーズは何なのか。」「そしてこれからは、お客様は何を求められるのか。」
・・・お客様の未来の、または本来のニーズを推理、仮定し、将来のご要望にお応えするために「むぎの詩」が生まれたのです。「本物・本流」「価値訴求」「ハイクオリティ」「健康」というキーワードがクローズアップされ始めていました。
「素材の味を活かした美味しさを追求し、小麦粉本来の味、本当の美味しさを引き出す・・・そのためにイーストフード・乳化剤を加えない。それは小麦の持つほのかな甘さなんです。」 社内のいろいろなところからの反対もありました。しかし、・・・営業サイドには、一歩も退かない非常に強い信念がありました。

なるほど、・・・「お客様のニーズにお応えしたい」という営業の信念が形になったんですね。

とにかく「美味しさの追求、そして、ハイクオリティ、一切妥協はしない・・・」という事が方針として決まっていましたから、正直に言いますと、とても困りました。
「イーストフード・乳化剤を加えない、・・・無添加!」と言っても、当時は、原材料メーカーの方々でさえ「えっー!!?」という感じだったんですよっ!
今でこそ、他社も追随してきていますから、驚きもしませんが、それはそれは本当に大変な事でした。
・・・「出来るかな!? 大丈夫かな!?・・・どうしよう!?・・・本当に困ったなぁ!?」という感じです。徹底してイーストフード・乳化剤無添加なんですから。

単純にイーストフードや乳化剤を使わないってことではないんですか?

だから一切妥協はしないんです(笑)。そう、原材料からこだわったんです。

原材料って、例えばどんなことですか?

小麦粉はもちろん、油脂などの原材料にも乳化剤の入っていないもの。例えば、食パンは食型という型に入れて焼きますが、焼きあがったときに型からスッーと外れないといけないので、そのために離型油という油を事前に食型に塗っておくんです。
これにも、乳化剤を使っていないものを、当初から使用しています。

えーっ、そんなことまでこだわるんですか?

だから一切(笑)。

「むぎの詩」開発

そんなことまでこだわっていると、材料を決めるのも大変ですねぇ。

そうですねぇ。本当に大変でした。材料選びもそうですけど、実際パンを作り始めると、もっと大変だったんです。最初は、ほとんどパンになりませんでした。「イーストフードや乳化剤って、すごい!」って(笑)。

そんなに?

大体、イーストフードや、乳化剤を使っていても、水分量や温度で、パンの出来はまったく変わってくるじゃないですか。さらに、それを使ってないんですから、「え~!ここまで違うか~っ!」って、何度叫んだことか(笑)。もう、まったくの別物になってしまうんです。
ほとんど毎日、「また、失敗。今日もだめだった。」って(笑)。「よしよし、進んでる。」って言う感覚には、なかなか、なれなかったですね。
それでも、失敗するたび、いろんな仮説を立てて、テストを繰り返し、少しずつ進んでいったのかなぁ。
・・・今でも時々、「あの頃の経験は貴重だったなぁ~っ!」ということを感じることがありますね。

そのほかにこだわっていることってありますか?

そうですねぇ。原材料そのもの、例えば「小麦粉」と一口に言っても、国産、フランス産、スペルト、石臼挽きタイプ、有名ブランド粉などなど、たくさんありますし、ライ麦粉、全粒粉、胚芽などその他の粉もあり、更にそのブレンドとなると、組み合わせは無限です。
これは、塩やイーストだって同じ。フルーツや木の実などの副材料も含めた「素材」そのものにもこだわっています。無限の組み合わせの中から、選ぶわけですから、自分たちのチョイスが絶対だなんて思ってません。常に少しでも良いものを…って。
それから、特にヨーロッパの本物を志向するわけですから、製法についても皆で勉強しました。フランスでも、昔から、いろんな自然種を使ったパンがあって、それが今でもしっかり売られている。だから、わたしたちもその商品の特性に合った「材料」「配合」「製法」を調べ、試作~試食、試作~試食、…の繰り返しです。自然種も自分たちで種を起こすところから始めて、毎日、欠かすことなく種継ぎをして、品質が変わらないようにチェックして…もう地味~な仕事ですよ。でもこれが大事なんです。

なるほど、大変ですねぇ。今迄で一番大変だった思い出って何でしょう?

う~ん。なんだろ。今にして思えば全部大変だったし、でも、ある意味、全部楽しかったし…
そうですねぇ。やっぱり「バタール」の商品化ですね。バタール、バゲットといった所謂フランスパンは配合・工程がシンプルであり、それがそのまま商品に現れます。これに取組んだときはホント大変でした。
安定しないんです。テストで充分確認し「大丈夫!」と思っても、ラインにのせるとダメ…何回繰り返しましたかねぇ、覚えていません。何度も発売を延期してもらって…お店やお客様には大変ご迷惑をおかけ致しました。そうやって、やっと発売にこぎつけたんですが、最初にいただいたご注文は「7本」でした。
やっぱりさびしかったですよ。「あんなに苦労してたった7本…」でも、その7本を製造はしっかり作り、営業には、直接店舗まで納品していただきました。もちろんたくさん余ってしまった分は(笑)、…店頭でしっかり試食販売していただきました。
今では、お客様から「すっごく美味しい!」っていう言葉をたくさんいただいています。やっぱりこれが一番うれしいですね。

「むぎの詩」開発

なるほど。最後にあなたにとって、「パンってどんなもの?」

今から25年位前、初めて神戸屋の門を入ったときから、今まで、変わらずにわたしの「大好きなモノ。」…です。
世界中にはいろんなパンがあり、その美味しさをもっともっと勉強しなければならないと思っています。そして、わたしたちはそれを紹介できる立場にいます。
大変なこともたくさんありますが、苦労した分、お客様の笑顔がうれしいですし、それがわたしたちの「誇り」であり、「喜び」なんです。
これからもお客様にご支持いただけるよう、精一杯努力致します。「むぎの詩」と「神戸屋」 よろしくお願い致します。

ありがとうございました。

ありがとうございました。

河上 洋一 プロフィール
1981年 4月 株式会社神戸屋 入社
1983年 12月 日本パン技術研究所(パン学校) 卒業
1986年 2~4月 フランス・パリのベルナール・ガナショウ氏(MOF)のもとで、
本場フランスパンの技術修得
1988年 3月 福盛パン研究所ムッシュF第1期生として卒業
1994年 3月 Coupe du Monde(ベーカリーワールドカップ)に日本人メンバーとして初出場。芸術的飾りパン部門で金賞(1位)、総合3位に輝く
1994年 8月 第5回カリフォルニア・ウォルナッツコンテスト ブレッド部門賞受賞
1997年 6月 パン製造技能検定 特級取得
1999年 7月 第1回「豆を使ったパン」アイデアコンテスト 最優秀賞受賞
2000年 7月 第2回「豆を使ったパン」アイデアコンテスト 2年連続最優秀賞受賞
2001年 CWBカナダ・小麦局の食パンコンテスト 準優勝受賞
2004年 ルサッフル社「saf製パンコンテスト」 グランプリ受賞
2006年~ Coupe du Monde実行委員兼、日本代表最終選考審査委員
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